書評
『旬刊経理情報』2024年5月10日・20日合併号の書評欄(「inほんmation」・評者:伊井 哲朗 氏)に『投資家をつかむIR取材対応のスキルとテクニック』(板倉 正幸〔著〕)を掲載しました。
2024年2月22日、日経平均株価は1989年12 月末の高値38,915円を34年ぶりに更新し号外も配られた。この背景には脱デフレや円安などマクロ的な要因もあるが、東京証券取引所からの資本コスト、株価を意識した経営の要請も大きいと思われる。これは日本企業が一層、投資家を意識した経営に転換することを意味するともいえる。
かつて、株式会社日立製作所の川村会長のお話しを伺う機会があった。川村会長は「これまで日立は、日立の製品を購入いただいたお客様には修理の保証など手厚く行ってきたが、日立の株を購入いただいている株主にはしっかりとした対応が出来ていなかった。今後は、消費者であるお客様同様に、株主の皆様に対して、企業価値を上げ、その説明をしっかりやっていく」と話されていた。その後の株式会社日立製作所の大復活は衆目の一致するところである。また、同社のIR(インベスター・リレーションズ:企業が投資家に向けて経営状況や財務状況などの情報を発信する活動)も同時に大きく変化した。
さて、本書の著者である板倉氏は日東電工株式会社のIR部門において、前述の株式会社日立製作所の方針転換よりも前に、こうした取組みをされた先駆者であった。私が投資家として板倉氏とお会いしたのが15年程前、グローバルニッチトップを目指す同社について、まさに本書に書かれているとおり、競合企業との比較や中長期の経営戦略について定量的、定性的に丁寧に説明を受け、時には、製品を使った解説もあった。私たちが運用する投資信託は30年目線で投資する骨太な長期投資ファンドであり、株価の変動に一喜一憂するのではなく、外部環境の変化を乗り越えて持続的に成長を続ける強い企業を投資対象にしている。企業の長期的な業績見通しもさることながら競争力や経営力、企業文化など非財務情報を大切するところに特徴がある。同氏は、私たちのようなユニークな投資家にも的確に対応されていた。
企業も生き物であり、調子のいい時もあれば悪い時もある。その時々に、変わらぬスタンスで的確に説明を受けられたのは、本書に書かれているような丁寧な取材準備があったからだということをあらためて認識する機会となった。また、本書には攻めのIRとして、IR活動におけるスキルやテクニック以外にスタンスについても多く書かれている。業績が悪い時ほど積極的な活動が大切、オンラインにより非対面の時代だからこそリアルが大切など、これらのスタンスはまさに情報発信にとどまらず、「伝わる」ことの大切さを示している。
私たちは結果として、日東電工株式会社の株を2010年以来15年近く保有し買増しを続けている。近年、企業は株主だけでなくあらゆるステークホルダーを意識した経営が求められている。本書は、歴史ある上場会社からスタートアップ、そして未上場の企業においても自社の価値をいかにステークホルダーに伝えていくかのヒントが満載である。ぜひ、手に取っていただきたい1冊だ。
伊井 哲朗(コモンズ投信株式会社 代表取締役社長)
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