【WEBマンガ】税の歴史(第4話)

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今、日本には消費税や所得税をはじめとする多くの「税」があります。
そしてそのすべては、法律によって定められています。
「税」が法律に定められているということは、今では当たり前のことのようですが、日本の「税」の仕組みは、長い歴史のなかで形づくられてきました。
「税」の歴史を辿ると、それぞれの時代に地域や国を担っていた人々が、どのような国づくりをしたかったのか、その苦労や工夫、そして未来への希望を垣間見ることができます。
マンガ「税の歴史」では、千年税務会計事務所に勤めるメンバーが、時代を動かした歴史上の人物に出会い、「税」について学んでいきます。

チームむぎ

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今回のポイント

第4話「藤原不比等」

天智天皇として即位した中大兄皇子は、「庚午年籍」(こうごねんじゃく)という戸籍を作成した後、「大化の改新」を完成すべく、「近江令」(おうみりょう)という法典をつくったと伝えられています。
さらに壬申の乱(じんしんのらん)を経て、天智天皇の弟である天武天皇が律令国家の基礎をつくり、天武天皇の妃であった持統天皇が「飛鳥浄御原令」(あすかきよみはらりょう)として受け継いだとされています。

そして持統天皇の後に即位した文武天皇のときに、わが国初めての「律(刑罰法)」と「令(行政組織の運営など)」があわせて規定された「大宝律令」として701年に制定されることとなりました。
その「大宝律令」の編さんの一翼を担っていたのが、中臣鎌足(藤原鎌足)の子、藤原不比等です。藤原不比等は持統天皇からの信頼が厚く、律令国家設立の影の立役者といわれています。

 「大宝律令」の中でも、おもに租・調・庸・雑徭が当時の税として知られています。
租は、初穂料などを起源としていて、性別、身分などにかかわらず、口分田の耕作面積に応じて田一段につき稲2束2把が賦課されていました。これは当時の収穫量の約3%に当たるとされています。
調は、男性を年齢で正丁・次丁(正丁の2分の1の賦課)・中男(正丁の4分の1の賦課)に分け、繊維製品をはじめ、絹や糸、布のほか、それぞれの国の特産物を徴収し、それらは中央政府に納められました。
庸は、都にのぼって政府に命じられる労役(正丁は10日、次丁は5日、中男他はなし)を提供する代納物として、布・米・塩などを納めるもので、やはり中央政府に納められました。
雑徭は、正丁について年間60日(次丁は2分の1、中男は4分の1)以内の日数で、国司の命令により土木工事や雑用に奉仕する労役をいいます。

区分

これらの税は、飢饉の際の困窮者救済用の貯蓄をはじめ、中央政府及び諸国における役人や役人に仕える人たちの給料・食料や、兵士たちの食料に充てていたと伝えられています。

また税のほかに人々の大きな負担となったのが正丁に課されていた兵役でした。正丁の3~4人に1人の割合で徴発される兵士には、庸や雑徭が免除されるなどの措置がとられていましたが、労働力の中心である正丁を徴集され、旅費の一部を負担しなければならなかったため、その負担はきわめて重かったといわれています。

律令国家設立の一方で、税の負担に苦しんでいる人もいることを目の当たりにした「チームむぎ」。
次回はどんな歴史上の人物に会うことができるのでしょうか?

参考文献

日本史広辞典編集委員会編『山川日本史小辞典改訂新版』山川出版社、2016年
石ノ森章太郎『新装版マンガ日本の歴史』中央公論新社、2020年
山﨑圭一『一度読んだら絶対に忘れない日本史の教科書』SBクリエイティブ、2019年
山本博文監修『角川まんが学習シリーズ日本の歴史 飛鳥朝廷と仏教』KADOKAWA、2015年
北條恒一『日本古代税制史の研究』白鳳社、1986年
平凡社編『新版日本史モノ事典』平凡社、2017年
井筒雅風『日本服飾史 男性編』光村推古書院、2015年
高森明勅監修『歴代天皇事典』PHP研究所、2016年
下向井龍彦監修『歴史人物できごと新事典』増進堂・受験研究社、2015年
佐藤信・五味文彦・高埜利彦・鳥海靖編『詳説日本史研究』山川出版社、2017年
笹山晴生・佐藤信・五味文彦・高埜利彦・老川慶喜・加藤陽子・坂上康俊・桜井英治・白石太一郎・鈴木淳・吉田伸之・山川出版社著『詳説日本史 改訂版 日本史B』山川出版社、2017年

茂垣 志乙里(税理士)

2012年税理士登録。

イラスト経歴

  • 公式キャラクターデザイン:特定非営利活動法人NPO支援の税理士ネットワーク「のんちゃん」「ぽらちゃん」
  • 公式キャラクターデザイン:一般社団法人コミュニティ・カウンセラー・ネットワーク「ヤダもん」